●では、

沼池
Aug 03
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▼現代アートの作品群の独特なテーマとは、それが対話であることよりも、
むしろサブ対話である事により定義付けられている。
サブカルチャー理論の前提においては、リアリティが本質的意味を持つ事が暗示され、
当然の帰結としてそのアートはリアリティとは別個の物となる。
しかしながら一方でその主題はパラドクスとして意識性を含む、
文化的脱構築にコンテクスチュアライズされている。

▼「階級とは現状に対し本質的な責任を負っている」とマルクスは喝破した。
同じくサブカルチャー理論は、対話が集合的無意識に由来する事を示唆している。
従って、仮に我々が前弁証的唯物論を採用するのであれば、
我々はコンテクストの近代的パラダイムと、コンテクストの
ネオテクスト的パラダイムの間からそれを選択せざるを得ない。

▼意味論的サブコンストラクティブ理論についての Sartre の分析によれば、
社会はある程度の瞠目すべき有意性を持っている。
ただし、サブカルチャー理論が有効であるという仮定の上であり、
さもなくば読者の仕事が有意の形態となってしまう。
ある意味において、 Foucault は「コンテキストの近代的パラダイム」という用語を、
テクスト的クラスの不合理性、すなわちルビコン的ラインとして定義している。

▼Scuglia は現代アートの作品群がポストモダンとは異なることを暗示している。
つまり、全体的な自己改竄に係わるあらゆる理論が存在する。

▼現代の『萌え』作品群においては前概念的な物語が探索され、
ネット上の匿名掲示板群では前弁証的唯物論が分析された。
しかしサブカルチャー理論の前提は、真理が文化と交換可能であるという意図が、
今もなお、アートに包含される余地があることを示しているのである。

/参考:http://www.elsewhere.org/pomo/